代表より

杉田正明

 地元のコミュニティ誌からの「エコと車」というテーマでの原稿依頼を受けました。それに応じて書いたものを転載して本号の「代表より」とします。

 自動車と環境との関連では、①自動車排ガス汚染による呼吸器疾患、②沿道への騒音、③CO2排出による温暖化、④道路建設による緑・生態系の破壊、⑤道路建設による居住基盤の破壊、これらがこれまで問題になった主な項目である。
 次世代自動車として電気自動車がもてはやされている。電気自動車においては、蓄電池で走るタイプは排ガスを出さない。燃料電池車の場合は水蒸気を出すが、喘息の原因となるディーゼル排気微粒子を出さない。騒音については、エンジン音がモーター音に置き換わって大幅に減少し、タイヤ音は残るものの全体としてかなり減少する。車からのCO2の排出は無くなる。①から③の項目については大幅な改善が見込まれる。
 しかし電気あるいは水素(燃料電池の燃料)をどのように生産するかが問題で、化石燃料を使う場合はそこでCO2が排出される。また化石燃料を使わない場合でも、自然エネルギー由来の電気エネルギーを生産・供給するための設備の生産、電気自動車を生産するための部材の生産や組み立て、これらにおいて化石燃料を使ったり、また電気自動車を廃棄・再生する過程で化石燃料を使うことが引き続けば、そこにおいてCO2が排出され温暖化が進む。自動車のライフサイクル全体としてのCO2削減は、例えば製鉄に際して還元材として石炭を使わない製法へ抜本的に変更することなしには不可能であり、これは容易ではない。
 また、④および⑤については電気自動車が普及しても変化は起きない。道路建設が行われる限り、その問題は起きる。
 ここで、視点を変えて、自動車を主要な交通手段とする社会がもたらしてきたものをより大きな見地から反省してみよう。
 自動車は住宅や事業所の分散立地を容易にした。分散立地する住宅や事業所は都市と結ぶ大量の道路を要求した。また、中高層の建築物ではなく、低層の建物を一般的にし、低密度の土地利用により大量の宅地需要をもたらした。クルマ社会は道路、宅地、駐車場など土地を多消費する社会をもたらした。このため田畑、樹林地の大量の破壊が進んだ。 また分散立地は移動距離を長いものにし、また自家用車は、バス・電車や運輸業者のトラックによる集約型の交通ではなく個別型の交通を一般化し、これらによって交通エネルギーを多消費する社会をもたらした。
 このような土地多消費とエネルギー多消費をもたらす構造は、化石燃料車から電気自動車に転換が進んでも変わることはない。自動車は「エコ」と基本的に矛盾する特性を持つものである。
 これからの日本は4重苦の時代を生きねばならない。
 ① 中国・インド等低賃金大国からの追い上げが引き続き、国際競争力はさらに喪失し、製造業は全般的に停滞し、“失われた20年”に続く次の“失われる20年”となるだろう。ここにおいて賃金上昇は停滞する。
 ② 高齢化・少子化が進み、就業者1人あたり扶養人口は増加し、就業世代の負担は高まる。
 ③ 温暖化への対応を図らなければならず、2050年までにCO2を8割以上カットすることが必要とされるが、しかし原子力への転換は当然なる住民の反対の下で順調には進まず、自然エネルギーへの転換も高価格化なしには進まない。エネルギー価格は上昇し、エネルギーの消費節約を本気で図らねばならなくなる。
 ④ 財政再建が待ったなしになり、大増税に進むか、もしくは日銀引き受けによる国債発行・インフレに進むか、いずれにしても我々の可処分所得は実質的に増えず、むしろ減る可能性すらある。
 このような時代において我々は節約を強いられ、極力エネルギーを節約した住まい方・働き方を追求しなくてはならなくなる。高いエネルギー費用を払わなくてはならない自動車を基本交通手段とするのではなく、公共交通を基本交通手段とする生活、またそれを可能とする集住型の都市構造への転換を進めねばならないと考える。