「気候変動対策のあるべき枠組み」

清水真哉

 地球温暖化に対する対策として、国連では気候変動枠組条約を締結して、地球温暖化の原因とされる温室効果ガスの削減目標を国ごとに定めて、温暖化の防止を図ろうとしている。
 地球温暖化という気候の異変に対して、複数あるその原因物質の排出の削減を図るというのは、直接的で当然の措置と思われるかも知れないが、その実効性において私には迂遠な方法に思われる。
 温室効果の最も大きい二酸化炭素を発生させるのは化石燃料の燃焼による。化石資源から考えると、二酸化炭素の発生を抑制するというのは、化石資源を消費する需要の側でコントロールしようとすることである。しかし実効性を考えると、需要よりも供給の側、化石資源の採掘をする段階でコントロールした方が効果は高いのではないかと思われる。
 具体的には、石油、石炭、天然ガスの資源保有国に対して、資源の種類別に一年ごとに採掘をしていい量の上限を定めるのである。そして全ての資源国に割り当てた採掘量の総量を毎年2%から3%削減していくのである。
 現在どこかの国が、自国の領土領海内に石油や天然ガスを発見すると、大喜びで直ちに掘って使ってしまうというのが通例である。しかし、この採掘許可量割り当て制度の下では、自国内で資源が発見されても、採掘許可量を割り当ててもらわなくては掘ることはできない。採掘許可量の総枠は予め決められているので、どこかの国が新たな割り当てを貰うためには、他の国が少しずつ自国の割当量を減らして融通してあげなくてはならない。
 この方式では、資源産出国が制度の直接の対象となり、産出国に厳しく、産出国が抵抗しそうに思われるが、これは産出国の利益に最も適った方法なのである。
 地球全体での供給量を厳格に制限してしまうのであるから、価格は著しく騰貴することが予測される。すると資源国は、自国の資源をこれまでよりも少ない量採掘して、これまでと変わらない利益を得ることができるのである。資源を保存しながら、長期に渡って資金源としていくことができる。
 これは有限の資源を節約し、後世の世代にも長く使ってもらうという、世代間の公平という観点からも望ましいあり方と言い得る。
 他にもこの方式には、二酸化炭素の排出を削減するというやり方と比べて幾つもの利点がある。
 まず二酸化炭素よりも化石資源の方が、削減した量の測定、計算が容易である。
 次に排出権取引などという人工的で不自然な市場を設けなくても、既存の石油、石炭、天然ガスの取引市場で全てが調整できる。市場においては誰が購入して使用しようとも自由であるので、先進国と途上国の対立なども考えられなくなる。
 仮にこの枠組みに参加しない資源産出国があったとしても、その国にしても締結国が減産した分まで増産することは簡単ではないであろうから、地球全体での減産は進んでいくであろう。
 気候変動枠組条約の京都議定書にはアメリカや中国が参加していないが、価格が上昇すれば、全ての国の消費が抑制される。二酸化炭素の排出削減という目標に対してフリーライダーの存在する余地は小さく、効果が直接的である。
 物の生産の原材料として使われる量も価格が上がれば減るであろう。今は木材や竹や紙、金属を使ったほうが適切な場所でも、価格が安いという理由でプラスチックが使われることが多い。資源の利用の適正化が図られるであろう。
 総枠の削減ペースをどうするかについては議論の余地がある。総枠は常に減り続けるのに需要の圧力は高まり続けるであろうから、省エネ技術や代替エネルギーの開発が進んだとしてもなかなか追い付かないであろう。しかしそれでも期待以上に消費の削減が進んだ場合は、総枠を更に減らすことができる。
 安価な化石燃料を浪費することに慣れた人々の抵抗は大きいであろうが、市民団体はまさにそこでこそ闘わなくてどうするのであろうか。かつて市民は政府の強権と闘ったが、今の市民団体が闘う相手は一般市民の膨れ上がった欲望なのである。地球温暖化の問題に取り組む市民団体は本筋でこそ闘うべきである。