戦後日本の運輸交通政策と自転車通行ルールの変遷

渡辺 進

(東京都小平市在住)

 戦後の日本産業の驚異的な復興は、B29による全国的な爆撃を受けて破壊された鉄道網の再建と酷使によってはじめて成し遂げられたといわれています。もともと鉄道は明治以降の日本経済発展のバックボーンでした。しかしその後、駐留米軍の強い要請や朝鮮戦争(1950年勃発)特需があって、日本の陸上運輸交通政策は鉄道から道路(自動車)へ大転換されました。
 鉄道事業が運輸省から公共企業体「日本国有鉄道」に変えられたのが49年、駐留軍からの督促を受けて道路整備5カ年計画を策定したのが54年でした。その間に新道路法ができ、これが母体となって、60年に道路交通法が誕生しました。
 膨大な道路建設資金については、53年に「道路整備の財源等に関する臨時措置法」が制定され、“臨時”とはいうものの、ここから莫大な道路特定財源が長期的に安定して確保されることになりました。道路整備のこの国家的大事業に支えられて、自動車産業の本格的な展開が始まりました。朝鮮戦争特需の好景気の恩恵を受けて、都市勤労者層の中にも自家用車の普及が急速に進みました。こうして日本はクルマ優先社会に突入していったのです。
 この結果、道路交通の、本来の方向とは逆のモーダルシフトが、段階を追って進行しました。まず、大都市の路面電車(市電)が道路から追い出されました(行く先がないから正しくは「消された」と言うべきでしょう)。次は、国鉄の分割民営化(78年)を最大の狙いとして鉄道不採算路線(これらも国のクルマ優先運輸交通政策の被害者です)が切り捨てられていきました。一方、国民はますますクルマ依存の生活にはまり込んでいきました。クルマの激増に、国を挙げての道路整備が追いつけず、それのみか、クルマによる交通事故が60年代から急増するのです。そこで、クルマができるだけ大量に、高速で、かつ安全に(歩行者や自転車の安全は二の次で)走行できるように、道路交通法が改正されたのです(70年)。その内容を条文に即して調べてみました。
 同法第17条1項は、改正前と同じで「車両は歩道と車道の区別のある道路では車道を通行しなければならない」とし、自転車もこの条項に縛られるのですが、同条に〈その3〉が次のように追加されたのです:「第17条1項の規定にかかわらず、自転車は公安委員会が指定した区間の歩道を通行することができる」。これが、海外に例を見ない日本の悪法の誕生です。なお、丁度この時期に、歩行者の事故を抑えるために、歩行者の立場を無視した車道横断歩道橋、道路照明、信号機などの設置が急ピッチで実施されています。
 しかし車道での事故は減りませんでした。そこで車道から自転車をさらに追い出すために、78年、再び同法が改正され、第63条の4として次の条項が加えられました:「普通自転車は第17条1項の規定にかかわらず、道路標識等により通行することができるとされている歩道を通行することができる。この場合、普通自転車は当該道路の中央から車道寄りの部分(道路標識等により通行すべき部分が指定されているときはその指定された部分)を徐行しなければならない。」この分かりにくい言い回しの条文は何を言わんとしているのでしょうか。道路での最弱者である歩行者に更なる犠牲を強いて、クルマの高速化を図り、その安全性(歩行者のではなく、クルマ自体の!)を高めようとする以外の何者でもありません。その結果、歩行者対自転車の事故が激増してきたのは当然の成り行きでした。
 今日、クルマ優先政策からくる交通事故の多発に地球温暖化、クルマ排ガス公害、石油高騰などの問題が重なり、道路交通法は、自転車をあるべきモーダルシフトの重要な一環に位置づける再々改正をせざるを得なくなったのだと思います。
 2007年6月20日に道路交通法の一部改正が公布され、そのうち自転車に関する部分が08年6月1日に施行されました。以下に改正道路交通法の自転車関係条項を、非改正の事項を含めて、整理してみました。条文中、(非改正)とあるのは改正前と同じ文、(新設)とあるのは改正で加えられたものを示します。  

1. 普通自転車は、次の場合には歩道を通行することができる(法63条4の1項)
 1 標識(非改正)や表示(新設)によって普通自転車が歩道を通行できるとされているとき
 2 普通自転車の運転者が児童、幼児、70歳以上の者、または車道通行に支障がある身体障害者であるとき(新設)
 3 車道または交通の状況に照らして、通行の安全を確保するために、普通自転車が歩道を通行することがやむを得ないと認められるとき(新設) ただし、いずれの場合も、警察官または交通巡視員から歩道通行不可の指示があったときは歩道を通行できない(新設)

2. 普通自転車が歩道を通行するときは、次の事項を守らなければならない(法63条4の2項)
 1 歩道に「普通自転車通行指定部分」の表示がある場合は、その部分を徐行して進行しなければならない(非改正)
  ただし、この指定部分を通行するまたは通行しようとする歩行者がいないときは、徐行せずに、歩道の状況に応じた安全な速度と方法で通行できる(新設)
 2 この「指定部分」がない場合は、歩道の中央から車道寄りの部分を徐行して進行しなければならない(非改正)
 3 歩行者の通行を妨げることとなる場合は、一時停止しなければならない(以前から)

3. 歩行者用信号機がある横断歩道では普通自転車はその信号に従って通行できる(新設)
(施行令第2条1項)
(筆者注)改正前は「歩行者自転車専用」の信号機でなければ普通自転車は横断歩道を通行できませんでした。

4.歩行者は歩道の「普通自転車通行指定部分」をできるだけ避けて通行するように努めなければならない(新設)(法10条3項)

5.児童・幼児を保護する責任のある者は、児童・幼児を自転車に乗車させるときは、乗車用ヘルメットをかぶらせるよう努めなければならない(新設)(法63条の10)

6.地域交通安全活動推進委員は、自転車の適正な通行の方法について住民の理解を深めるための運動を推進する(活動項目の追加)(法100条の29、2項3号)

 以上のように、新しい改正道路交通法は、自転車の通行方法についていろいろ細かい配慮をしているように見えますが、これまでの同法の変遷を辿っての到達点として見ると、肝心のクルマとの関係、あるいは道路のあるべき姿というトータルの問題の解決には程遠いものと言わざるを得ません。
 国も、国土交通省と警察庁が協力し合って、歩道、自転車道、車道を構造的に分離する方向で、関係自治体とともに社会実験やモデル事業などに取り組んでいますが、私たち市民はただその結果を待つのではなく、都市住民の日常生活をより安全により安心してという立場から、国や自治体の事業に関心を持ち、互いに意見を交換し合い、事業主体に疑問・質問を投げかけて行くことが大切ではないかと思います。